創業者メッセージ
人生、どの方向に歩むか分からない
大学時代、競技中のスキー事故で右腎臓の2/3を摘出、その前年には下半身大やけど。
その後の人生の半分が失われたような状態で日々を過ごしているなか、兄が始めたスキー専門ショップの手伝いをすることに。販売サービスは嫌いではなかったため、真剣に取り組んだのを記憶しています。
当時スキー人気は高く、趣味も重なり充実はしていましたが、前々からモノづくりに興味があり暇さえあれば何かしら作っていました。
これは余談ですが、大学卒業後ウォルトディズニー社に就職するのが夢でしたが、堅実な母の反対で断念しました。(笑)
失敗を積み重ねたモノづくり
スポーツ店での仕事の傍ら、最初に考えたのが車用チェーンの取り付けを簡単にする器具でした。
特許庁にまで足を運び出願方法など勉強したが、それでも理解不足のため登録ならず。
次に考えたのがスキーの金具(ビンディング)を取り付けるためのブーツジグ。これは特許取得できたものの、スキー人口の減少により試作の段階で不発に終わってしまいました。
そして初めて健康に関連する器具の開発を手掛けることに。
お金がないにもかかわらず、日本・アメリカまで特許取得した仮称「アキレス腱ストレッチ装置」を開発しました。
ただこれが大失敗!
人間は重力の中で生きているという認識から、身体バランスの研究(バイオメカニクス)を始めていた時、このアイディアが浮かびました。大手企業とのコラボもあったことで試作など順調に進むものと思いきや、世の中そんなに甘くありませんでした。
当時アキレス腱を動かすモーターが高くコストが合わないこと、モーターの誤作動の危険性などもクリアーする必要があること等の理由から止む無く中止が決定。
気がついたら大変な借金。今でも思い出したくないほど大きな重荷を背負うことになりました。
失敗から得たもの
健康を意識し始めた1986年(昭和61年)、ドクターエルラボ(研究所)設立。
ストレッチ装置の試作品をヒントに、後にヒット商品となる「足ゆび元気くん」のアイディアが浮かび、2年の研究を重ねて商品化しました。
そして、足のストレッチが腰にも影響するという考え方から、次に坐骨を安定させるクッション、弊社の真髄とも言える「マルチレストドクターエルクッション」が誕生しました。
人々が、自然との調和の中で人の持つ免疫力や自然治癒力を高めるための研究、バイオメカニクス理論(重力の使い方力学)を応用し、健康・医療補助具の研究開発の取り組みがこの時期から始まり、1995年(平成7年10月)に、株式会社ドクターエルを設立しました。
この考え方は、人体の様々の部位の研究開発に応用することができ、多くの人気シリーズ商品を誕生させることにつながっていきました。
最大の出会い 枕
2002年のある日、大親友のS氏からこんなことを頼まれました。
「ねぇ、船戸川さん。『枕』の開発をしてくれない。いい枕を創ろうよ、一緒に」
私の答えは決まっていました。
「できないよ。難しいから・・・」
当時から多くの寝具や枕の専門メーカーが何十年も良い枕作りに凌ぎを削っていました。だから、
「いくら私が健康関連の開発を手がけているといっても、寝具に関しては新参者が参入する余地などありゃしないよ」と答えました。
しかし、彼は引き下がらなかった。
「中素材は自分にいいアイディアがあるから、船戸川さんは枕本体についてだけ考えて」更に、
「今売られている枕を見ても、これというものはないし、どうしてもあなたに何とかして欲しいんだ。頼むよ!」
彼は大手靴下メーカーの社長。繊維関連はお手のものである彼がこれほどまでに言うには、何か理由があるのだろうと思い、思い切ってその話を受けることにしました。
そこから、骨格のバランスを崩さずに心地よく眠れる「枕」の開発が始まったのです。
開発から2年、ついに寝返りをスムーズにする枕本体の試作品が完成しました。
この枕を、ギリシャ神話の眠りと夢を司る神の名前をとって『モーフィアス』と命名しました。
そして、これから中素材を決めようとした矢先、何とも残念なことが起こったのです。
枕創りを薦めてくれた彼が、試作品を見ることなくガンで急逝してしまったのです。
親友を亡くした寂しさも消えないまま枕創りを進める日々が続きましたが、なかなか最適な中素材が見つからず1年が過ぎた頃、亡くなった彼のことを考えつつ、パイプ素材を再度見直すことに。
試作すること30回、なかなかよいものがみつからず、約2トンのパイプが日の目を見ずに再生品に。
そして2006年にやっと満足のいくパイプ素材ができ、ついにピローモーフィアスの商品化に成功。
その後も日米特許を取得したモーフィアス枕シリーズとして、ねるぐ、ねるこ、ねるこゼロ、と開発・商品化を続け、枕はおかげさまで大好評をいただいております。
テレビをはじめ各方面から取材をされるようになりました。
あのとき枕作りに導いてくれた彼には、本当に感謝しています。
結局、彼にはピローモーフィアスを一度も使ってもらえなかった事が悔やまれてなりません。
今頃は、天国で彼もきっと喜んでくれていると信じつつ、これからも日々研究開発に努めてまいります。